反脆弱性(上)不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

私が唯一従っている現代の格言は、ジョージ・サンタヤーナのものだ。「人間は、妥協のない誠意をもって世界を判断し、ほかの人々を判断してこそ、道徳的に自由といえる」。

「心的外傷後成長」という現象を教えてくれた。これは心的外傷後ストレス障害とは逆で、過去の出来事で心に傷を負った人々が、それまでの自分より強くなるという現象だ。

私は、イノベーションや洗練というものは、最初は必要に迫られて生まれると思っている。いや、そう確信している。最初の発明や何かを作ろうという努力が思ってもみない副作用をもたらし、必要を満たす以上の大きなイノベーションや洗練へとつながっていく。

もちろん、古代の思想にも同じような考えがある。ラテン語には、「洗練は飢えから生まれる」ということわざがあるし、古典文学にも同じような考えが見られる。オウィディウスの作品には、「困難が才能を呼び覚ます」という言葉ある。

過剰補償のメカニズムは、もっとも意外な場所に火村営る。飛行機で大陸間を移動してくたくたになったら、休みよりも、ジムで少し運動したほうがいい。また、こんな有名な裏技もある。大急ぎでしなきゃならない仕事があるときには、会社でいちばん(または2番目に)忙しい人に頼むのがいい。ほとんどの人は、暇な時間を無駄にしてしまう。暇な時間があると、人は機能が低下し、怠け、やる気をなくするからだ。忙しくなると、ほかの仕事もがむしゃらにこなすようになる。これも過剰補償の一例だ。

私の友人のチャドが恩恵を受けたような混乱は、「観光客化」という現代病のせいでますます珍しくなっている。この単語は私の造語であり、人間を機械的で天順な反応を返す、詳しいマニュアルつきの洗濯機のものとして扱う、現代生活の一つの側面を指している。観光客化は、物事から不確実性やランダム性を体系的にうまい、ほんの些細な点まで予測可能にしようとする。すべては快適性、利便性、効率性のためだ。

「(有害性の)証拠がないこと」を「(有害性が)ないことの証拠」と勘違いしてしまうことだ。

マキャヴェッリはこう室している。殺人や内戦のさなかで、我らが国は強くなり、市民は徳を身につけた。少々の混乱は人々の糧になる。そして、種を反映させるのは平和ではなく、自由なのである」

システムにランダム・ノイズを注入し、その働きを向上させるという考えは、いろんな分野で応用されている。たとえば、「確率共鳴」と呼ばれるメカニズムでは、ランダム・ノイズを背景を加えると、音(音楽など)をよりクリアに聴くことができる。

①脆さや反脆さを見極めるのは、事象の構造を予測したり理解したりするよりもずっと簡単だ。したがって、私たちがしなければならないのは、予測ミスによる損失を最小化し、利得を最大化する方法を考えることだけだ。つまり、私たちが間違いを犯しても崩壊しない(さらには崩壊を逆手に取るような)システムを築くことが大事だ。

②差し当たっては世界を変えようと思ってはいけない。私たちがすべきなのは、問題や予測ミスに対して頑健な(さらにはミスを逆手に取るような)システムを作り、レモンでレモネードを作ることだ。

③レモネードといえば、レモンからレモネードを作るのが歴史の役目のようだ。反脆さとは、あらゆるストレスの生みの親である時の流れのもとで、物事が前進していく仕組みなのである。